チャンネル登録者数は1,000万人を超える日本を代表するYouTuberといっても過言ではない存在となった「ヒカキン(HIKAKIN)」さんですが、いつからYouTuberとなり活動を始めたのか?
気になりませんか?
今回はヒカキンさんがいつからYouTubeを始めたのか?ブレイクのキッカケとなったバズった動画は?活動休止期間はあったのか?といった疑問にお答えしていきます。
ヒカキンのYouTubeはいつから?
ヒカキンさんが初めてのYouTubeチャンネルを開設したのは2006年でヒカキンさんは当時17歳の高校生でした。最初に登録されたYouTubeチャンネルは「HIKAKIN」でした。主にヒューマンビートボックスを披露する動画で「音楽系」のYouTubeチャンネルです。
最初の動画は新潟の実家で撮影、高校を卒業後は上京しスーパーの店員として働きながら帰宅後に社員寮の風呂場などでも撮影していたと言います。
このチャンネルは開設から数年後にエアロスミス、アリアナグランデといった海外の超大物アーティストと共演することになります。
2011年「Hikakin TV」を開設。
日本人の多くが知る「ヒカキン」さんは最初に解説されたヒューマンビートボックスのチャンネルではなく「Hikakin TV」ではないでしょうか?
ヒカキンさんは上京して数年後の22歳のときに「Hikakin TV」を開設します。
2012年にはチャンネル登録者数は10万人突破しますが、この当時はまだスーパーで働きながらYouTubeの撮影・編集をする生活をしていました。たまにライブやイベントに招かれヒューマンビートボックスを披露しています。
当時の苦労話などはヒカキンさんの著書に書かれています。Amazonの電子書籍Kindleで読めますので興味のある方は読んでみてください。
【Amazon】僕の仕事は YouTube
高校を卒業後に新潟から上京しての数年間はとても苦労をされたヒカキンさんですが、今では日本の誰もが「ユーチューバーといえば?」の質問の1位には「ヒカキン」さんの名前が上がるほど有名な存在となりました。
実はこの「有名人になる」というのはヒカキンさんが小学生の頃から描いていた夢の1つでもあったそうです。
では、どうしてヒカキンさんはYouTubeで有名になることができたのでしょうか?
ヒカキンがバズった最初の動画
ヒカキンさんが最初に注目されたのはアメリカ(米国)だと言われています。
YouTubeがサービスを開始し、一般公開されたのは2005年5月からです。その翌年に高校生だったヒカキンさんは自身のチャンネルを設立しています。
2006年頃〜のYouTubeはまだ多くの人に知られている存在ではなく、特に日本人の利用者もまだまだ少ないような状況でした。2006年の日本人のYouTube利用者数は200万人程度と言われています。
そして2006年11月にYouTubeはGoogleに買収されます(買収額は16.5億ドル)、皆さんもご存知の通りGoogleのサービスの一部として提供されるようになりました。
「Super Mario Beatbox」がバズる
2010年「ヒカキン伝説」のまさに始まりとなった動画「Super Mario Beatbox」が2010年6月17日に公開されます。
日本人なら誰もが知るファミコンゲーム『スーパーマリオブラザーズ』シリーズのBGMをヒューマンビートボックスでメドレーにした動画でした。
この動画はYouTubeにおける日本国内月間アクセス1位を記録します。
そして、アメリカの『CBS News』のトップニュースで取り上げられることとなりました。
大きな話題となりましたがその後もヒカキンさんはスーパーの店員として働きながら次の一手を打ちます。
それがビデオブログ「Hikakin TV」の開設でした。
ヒューマンビートボックスでの成功がありながらも、まったく違った道を模索し歩み始めようとしていたのです。
YouTube記念再生ボタン
自身のYouTubeチャンネルの登録者数を順調に伸ばし続けたヒカキンさんは一定数のチャンネル登録者数を達成することでYouTube(Google)から記念盾(再生ボタン)が贈呈されています。
銀の再生ボタン(10万人達成)
最初の記念盾は チャンネル登録者数10万人を達成すると贈呈される「銀の再生ボタン」です。
ヒカキンさんは同時に3つの銀の再生ボタンを受領。
- Hikakin TV
- HIKAKIN(ビートボックス)
- Hikakin Games(ゲーム実況)
2014年8月13日公開の「YouTubeからついにあれが届いた!!!」で発表しています。
金の再生ボタン(100万人達成)
チャンネル登録者数1,000,000人達成すると想定されるのは金の再生ボタンです。
こちらも3つのチャンネルでほぼ同時期にヒカキンさんは受け取っています。
- Hikakin TV
- HIKAKIN(ビートボックス)
- Hikakin Games(ゲーム実況)
2014年10月22日「ついにYouTubeから金の再生ボタンが届いたぞ!」で公開しています。
銀の盾に比べるとかなり大きなサイズであることがわかります。
銀の再生ボタン、金の再生ボタンと立て続けに2014年に受け取っているヒカキンさん。その当時の勢いの凄さを伺うことができます。
ダイヤモンド再生ボタン(1000万人)
そして2021年についにヒカキンさんはチャンネル登録者数1000万人を突破し「ダイヤモンド再生ボタン」が贈呈されます。
さすがいにダイヤモンド再生ボタンは「Hikakin TV」のみ、1つのチャンネルでの達成でしたが、ヒカキンさんにとっては大きな節目。念願のダイヤモンド再生ボタンの獲得でした。
2021年10月8日「ヒカキンTVにダイヤモンド再生ボタンがついに届いた!【チャンネル登録者1000万人の証】」で公開されました。
ヒカキン引退説の真偽は?
チャンネル登録者数が1,000万人を突破して以降の2022年頃になぜか出回ったのが「ヒカキン 引退」というキーワード。
2022年3月1日に「ヒカキン引退説についてお話させて頂きます。」でヒカキンさん自身が引退説について語っています。
ヒカキンさんが就寝間際に何となくスマホでエゴサーチをしていると出てきたのがこちらのキーワード候補。
- ヒカキン 引退
- ヒカキン 引退 理由
- ヒカキン 引退 いつ
取材やタレントさんと話す際に「引退」の話題になることもあるそうです。
実際、YouTuberの中では初期から始めており、年齢も上の方。ではあるものの、50歳、60歳となって「現役引退ですかね・・」という段階まではまだまだいっていないので、まだまだ「頑張ります!」とコメントしています。
34歳で初めての活動休止
ヒカキンさんは2023年4月、34歳となって初めての「YouTube活動休止」を発表しました。
YouTube動画の配信だけではなく、すべてSNSの発信もお休みすることとなりました。
2023年4月21日公開の「初めて活動お休みさせていただきます」で報告しています。
といっても、ヒカキンさんの活動休止期間は約1週間でした。
ヒカキンさんにとってYouTube活動を16年ほど続けている中でネットの発信を完全に止めてしまうのは初めてのことでした。
2023年の活動休止の理由はその後に発売されることとなったHIKAKIN(ヒカキン)さんが手掛ける初めてのブランド「HIKAKIN PREMIUM(ヒカキン プレミアム)」の発表に伴うものでした。

まとめ
今回の記事ではヒカキンさんがブレークしたキッカケを中心にしてご紹介をしてきました。
今ではYouTube界の中心となって常に新たな話題を提供しているヒカキンさん。その始まりは新潟県の高校生でした。
- YouTubeチャンネルの立ち上げは高校生のとき
- ビートボックスの動画を見たかったから
- 自分でもやってみて、公開してみた
- ブレイクのキッカケは「Super Mario Beatbox」
- 今の所、引退や休止はあり得ない
常に新しいことに挑戦し、YouTuberのトップとしての存在感を維持し続けているヒカキンさん。
コロナ禍も落ち着き始めた新しい世界で、どんな活躍を見せてくれるのかますます楽しみになってきています。