今やチャンネル登録者数が1,000万人を超える日本を代表する大人気YouTuberとなった「Hikakin(ヒカキン)」さんのチャンネルで残っている最も古い動画投稿は2007年9月24日に公開された「HIKAKIN Beatbox」で約60秒のヒューマンビートボックスを披露する動画となっています。
この動画は高校2年生の冬休みに撮影されています。
2007年当時はユーチューブは日本ではあまり知名度のない存在でした。
今回の記事ではヒカキンさんのYouTubeの始まりにスポットを当ててご紹介していきます。
- 「HIKAKIN」の始まりは高2の冬
- ビデオブログ「Hikakin TV」の始まり
- スーパーの店員からトップYouTuberに
- ヒカキンが過去を振り返る
「HIKAKIN」の始まりは高校生
HIKAKIN(ヒカキン)は1989年4月21日生まれのYouTuber。2006年12月30日に海外のビートボクサーの動画を見る目的でYouTubeチャンネルを開設します。
チャンネル開設後に自分でもヒューマンビートボックスの動画を投稿し、このチャンネルは「HIKAKIN」というチャンネル名で続けられていますが、2023年時点では2021年8月15日に公開された「Daichi × Hikakin Beatbox 2021」が最新の動画となっていて2年間は新しい動画が公開されていません。
この「HIKAKIN」チャンネルは音楽を中心としたチャンネルで海外アーティスト、Ariana Grande (アリアナグランデ)、Aerosmith(エアロスミス)などのビッグアーティストと達とのセッション動画が中心となっています。
ヒカキンさんのヒューマンビートボックスも有名ですが、日本では様々なチャレンジや面白いことをするエンタメYouTuberとして認識されているのではないでしょうか?
そんなエンタメYouTuberとしてのヒカキンさんが誕生したのがこちらのチャンネルです。
2019年9月24日の12周年でヒカキン本人が当時の自分を振り返り「アッパレ。まだまだ頑張りまっす」とコメントしています。
本日はYouTubeの1番古い動画の投稿から12周年でした。アッパレ。まだまだ頑張りまっす😎👊 pic.twitter.com/Ymeds9wiZo
— HIKAKIN😎ヒカキン 【YouTuber】 (@hikakin) September 24, 2019
2011年「Hikakin TV」が誕生
ヒカキンさんの最初の動画投稿「HIKAKIN Beatbox」から4年後の2011年7月19日に誕生したのが「Hikakin TV」です。
マンションの一室から始まったこの動画から、チャンネル登録者数が1,000万人を超える日本を代表するYoutuber「ヒカキン(Hikakin)」が誕生します。
2011年7月19日に公開された「Hikakin’s Video Blog Channel Open!!!」では「今日からビデオブログを始めます。」と書かれています。
このチャンネルが開設された当初は「僕のビデオブログをアップしていきたいと思います。」ということが伝えられています。ビデオブログ専門のチャンネルということ考えて開設されました。
最初に開設された「HIKAKIN」チャンネルは、ビートボックスを軸にした音楽エンターテイメントの動画を公開するチャンネルのため、ラフな動画を毎日のように公開すると海外のユーザーの方からすると「よくわからないチャンネル」になってしまいチャンネル運営の方向がおかしくなってしまうのではないか。ということで新しくチャンネルを開設する必要があると思い「Hikakin TV」が開設されました。
なぜ「Hikakin TV」を始めたのか?
ビデオブログとして始められた「Hikakin TV」ですが、ヒューマンビートボックスではなく、ビデオブログを始めようと思った理由について語っています。
他のビデオブログをやっている人の動画を見て「おもしろうそうかも」と思ったのと同時に、ヒカキンさん自身の本当の理由は
Youtubeの動画って一生残る。オヤジになったときに「ヒカキン」と検索すれば動画が出てくる。自分の子供に見せることができる。おじいさんになっても、若い頃の動画が出てくるのではないか。自分が亡くなった後も、孫達が動画を見られるのではないか。
これはすごいことではないか・・・と思って始めました。
Hikakin TVはビデオブログとしてはスタートしますが、実際に何をやるかは最初の動画が公開された時点では決まっていないとのことでした。日々の記録を残していきたい。当時、流行していた日記ブログの動画版を想定されたいたように思います。
スーパーの店員からトップYouTuberに
1989年4月21日生まれ、新潟県妙高市出身のヒカキンさんは高校を卒業後に上京します。
スーパーの食品部門に就職して、スーパーの店員をやりながらYouTuber動画を公開する日々をつづけていきます。当時の月給は、寮費を引かれると手元に残るのは13万円くらいだったようです。
毎日、仕事を終えると社員寮に帰って、深夜までYouTubeに動画を投稿するために撮影。
撮影場所はワンルームの部屋かユニットバス。声を潜めて撮影している様子が当時の動画から伝わってきます。
ちょうど時代の波に乗ることができたヒカキンさんは当初ヒューマンビートボックスがアメリカで注目されます。その後、逆輸入のような形で日本でも注目されるようになり、2010年6月にアップロードした動画『Super Mario Beatbox』がYouTubeにおける日本国内月間アクセス1位を記録して注目を集めるようになります。
2012年1月に会社を辞め、YouTube一本で生活ができるようになったと言います。
新潟から東京にでてきた若者がスーパーの店員として働きながらYouTube動画を公開し、2023年には20億円の豪邸に住めるまでになりました。

まさにYouTubeドリームを実現し、大きな成功を手に入れたヒカキンさん。
YouTubeを始めた頃の苦労話やYouTuberとしての成功に至るまでの秘訣は、ヒカキンさんの出版された本に書かれています。
2013年に出版された本ですので、今とは時代背景が違うこともありますが若さとエネルギーの溢れる頃のヒカキンさんからのメッセージには学ぶべきところがたくさんある書籍です。
僕の仕事はYou Tube 日本一のYou Tuberが明かす成功秘話&必勝法則 Kindle版
その後、一気に飛躍してYouTubeだけではなくテレビ番組やCMなど多彩な活躍を見せ始めたヒカキンさんを描いたのがこちらの書籍です。
それまでの何とかして有名になりたい!成功したい!という貪欲な成長物語から段階が変わります。
レベルを一気に拡大することにも成功したヒカキンさんの裏側を所属事務所のUUUM株式会社の代表鎌田社長との共著で語っています。
400万人に愛されるYouTuberのつくり方 Kindle版
過去のヒカキン自身を振り返る
ヒカキンさん自身が公開した過去動画から自分自身のことを振り返っている動画が公開されています。
実際、最初の頃に公開されている動画のヒカキンさんと現在のヒカキンさんでは見た目も大きく変わっています。
そんな見た目に注目した動画がこちら。
過去の動画を順次見ながら、過去と比べて「福耳」になってきた自分の「耳」のボリューム感をチェックしていく動画になっています。
耳だけではなく、体型や顔、着ている服など大きく変わっていることがわかります。
さらに、自分自身の動画についてはこちらで辛口コメントを残しています。
過去のヒカキンさんの動画をチェックしながら、自分の動画のダメなところを語っています。
Hikakin TVの動画がどのように変わってきているのかをヒカキンさんのわかりやすい解説で見ることができます。この動画はこれからYouTubeを始めたい、YouTuberを目指したい方の入門編としてもオススメです。
まとめ ヒカキン最初の動画
今回の記事ではヒカキンさんの最初の動画にスポットを当ててお伝えしました。
- 「HIKAKIN」の始まりは高2の冬
- ビデオブログ「Hikakin TV」の始まり
- スーパーの店員からトップYouTuberに
- ヒカキンが過去を振り返る
新潟の高校生が海外のヒューマンビートボックスをYouTubeで偶然に見つけ、自分でもやってみて動画を公開したところから、日本では知らない人がいない日本を代表するYouTuberとなったヒカキンさん。
その始まりを初期のYouTube動画と共に解説してきました。
ヒカキンさんがHikakin TVの最初の動画でも語っていますが、YouTube動画はチャンネル運営者が削除するか、YouTubeの規約違反などで凍結されない限り、公開された動画はずっと残り続けています。
ヒューマンビートボックスの動画を公開した高校生の頃のヒカキンさんには考えられなかったような大きな資産を築き、そして残すことになります。
チャンネル登録者数が1,000万人を突破してまだまだ勢いのあるヒカキンさんの今後の活躍に期待が高まります。