人気YouTuberヒカキン(チャンネル登録者数1,160万人)はまさにYouTuberのパイオニアであり、日本を代表する大人気YouTuberとして確固たるポジションを築いています。
「Hikakin(ヒカキン)」さんのYouTubeに残っている最も古い動画は、2007年9月24日に公開された「HIKAKIN Beatbox」で高校生の時に実家のある新潟県で撮影されものです。
ヒカキンさんがチャンネル登録者数が1,000万人超える大人気YouTuberとなる前の高校卒業からYouTuberへの道を歩む経緯を今回の記事ではご紹介をしていきます。
ヒカキンの出身地は?
ヒカキンさんは1989年(平成元年)4月21日 – 新潟県中頸城郡妙高高原町(現・新潟県妙高市)に次男として生まれました。
長男は皆さんもご存知のYouTuberセイキン(@SeikinTV)さんです。
そして幼馴染にYouTuberのマスオさん(@MasuoTV)もいます。
3人は保育園、小学校、中学校、高校までずっと一緒に新潟県妙高市で育ちました。
2023年1月10日公開の動画「閉校になる母校にサプライズで登場してみた」では3人が通っていた小学校「妙高高原南小学校」が閉校になるということでサプライズ登場して生徒たちを喜ばせています。
サプライズイベントの前に3人は小学校を訪問して、子供の頃の思い出を語り合います。大人になって、小学校の頃の思い出を語れる仲間がいるのってすごく羨ましく感じます。
そして、サプライズイベントに現れた3人に生徒たちは大興奮。
児童たちに向けた最後のメッセージでヒカキンさんは小学生の頃に「芸能人に憧れていた」という夢があったことを語ります。
しかし、人前で話すことが苦手で恥ずかしくて誰にもその夢を話すことができなかったそうです。
新潟県中頸城郡妙高高原町(現・新潟県妙高市)
ヒカキンの学生時代
豪雪地帯の新潟県妙高市で育ったヒカキンさんは学生時代は「スキー」に熱中します。
小学校からスキーが身近にある環境の中で夏も冬もスキーに夢中になっていたようです。

雪の多い妙高市で育ったヒカキンさんが小学生の頃に思い描いていた夢は「スキージャンプでオリンピックに出場すること」でした。
ヒカキンさんは町立妙高中学校(現:妙高高原中学校)、県立新井高校に進学します。中学、高校でもスキーのジャンプ競技をやっていました。かし、中学、高校では「スキージャンプの世界」での厳しい現実が見えてきます。
そんな時に、テレビ番組でやっていた「ハモネプ」を知ります。
高校生の時にYouTubeと出会う
そんあ学生時代にHIKAKINの原点となる「ヒューマンビートボックス」への興味が芽生え始めてきたヒカキンさんはヒューマンビートボックスを見る方法としてYouTubeと出会います。
そして、見るだけではなく自分でも公開すればみてモテるのではないかと思いYouTubeチャンネル「HIKAKIN」を2006年12月30日に登録します。
登録後にYouTubeに動画を公開しますが、当時の動画は既に削除されているものも多いようで、現状で最も古い動画として残っているのは2007年9月24日の「HIKAKIN Beatbox」となっています。
この時のヒカキンさんは高校生としてまだ新潟県にいます。
高校を卒業後、上京して新しい夢を目指すことになります。
小学生の頃に思い描いていた「日本中の誰もが知る有名人になる」という夢です。
スーパーで働きながら、ヒカキンさんは夢の実現のためにYouTubeへの動画投稿を続けることになります。
新潟県立新井高校 卒業
「HIKAKIN TV」がスタート
ヒューマンビートボックスを中心とした音楽の動画を公開していたHIKAKINさんでしたが、最初の投稿から4年後にこれまでのヒューマンビートボックスとは全く違った新たな動画を公開すること決めます。
それが「ビデオブログ」です。
当時は日記のような「ブログ(Blog)」が流行り始め、多くの人が自分のブログを持って記事を書き、情報を発信していました。文字と写真を組み合わせた「記事」としての情報発信が主流だったのです。
そんな状況の中でヒカキンさんが選んだのは「ビデオブログ」でした。
日常のいろんなことを動画を通して人々に情報を伝える。そのような意図からこれまでのヒューマンビートボックスとは全く別の新たなYouTubeチャンネルを設立します。
2011年7月19日まさに日本のYouTuberの幕開けとなる新しいチャンネルが登録されました「Hikakin TV」の誕生です。
スーパーで働きながら動画を投稿
上京したヒカキンさんは「YouTubeで日本一の有名人になる」という夢を叶えるためにスーパーで働きながら動画の投稿を続けます。
上司や同僚に「そんなの無理だ」と否定されながらも自分を信じてYouTube活動を続けるヒカキンさん。
この頃のことは著書で詳しく語られています。
僕の仕事はYou Tube 日本一のYou Tuberが明かす成功秘話&必勝法則 Kindle版
今とは違ってまだ「YouTuber(ユーチューバー)」という言葉もまだ世の中に出ていない時代。
まさにヒカキンさん自身がYouTuberとしての地位を作り上げていくのです。
所属事務所UUUMの設立
トップYouTuberの多くは事務所に所属していますが、当時はYouTuberが事務所に所属してサポートを受けるという体制が整っていませんでした。
「Hikakin TV」の開始から2年後の2013年。UUUM株式会社の創業者である鎌田和樹氏と出会います。
スーパーでの仕事をやめて、YouTubeだけである程度の生活ができるようなってきたヒカキンさん。
通信系の会社から独立して創業を考えていた鎌田さんがヒカキンさんと出会います。
それまでYouTubeのことをほとんど知らなかった鎌田さんはヒカキンさんとの出会いで興味を持ち始め「YouTuberを専門にサポートするタレント事務所」を設立します。
鎌田さんとの出会い、UUUM設立の経緯については以下の記事で詳しく解説しています。

コラボとタレント活動
ヒカキンさんは自らが創業に関わったUUUM株式会社のサポートを得ながら多くの企業とのタイアップ・コラボ動画を公開。
その効果が認められ、テレビCMやテレビ番組での活躍など、皆さんもよく知るYouTuberという垣根を超えたタレントとしてのヒカキンさんの活動が広がっていきます。
2013年の企業とのコラボ動画です。
2013年10月4日公開「チャリ走DX×ヒカキンでコラボ!プレゼント付きグランプリ開催!」では「Hikakin TV」でゲーム実況をしているところに歴史を感じさせます。
このコラボは成功して、その後のTVCMへと繋がったそうです。
2014年に大きく飛躍
2011年YouTubeチャンネル「Hikakin TV」を登録。
2013年鎌田さんと出会いUUUM株式会社設立。
そして、2014年にヒカキンさん本人は大きく飛躍できた年だと1年間を振り返っています。
2014年12月31日公開「ヒカキンの2014年振り返り動画!」では2014年のできごとがまとめられています。
- 760本の動画を公開
- 年間の総再生回数9億7000万回
- チャンネル登録者数90万人→186万人
- テレビCM出演
- アリアナグランデと初コラボ
- チャリティイベントを開催して震災復興支援
- SMAP×SMAP出演
- 剛力彩芽、乃木坂46と動画で共演
- ヒルクライム日本武道館公演に出演
- YouTubeテレビCM出演
- Yahoo!検索大賞を受賞
平均すると1日に2本以上の動画を公開し、これまでの総再生回数15億回のうち9億回が2014年中に再生され、チャンネル登録者数は2倍に増加。一気にHikakin TVが飛躍した年になったのです。
2014年に出演したYouTube初のテレビCMについては以下の記事で詳しく解説しています。

2021年9月チャンネル登録者数1000万人
2011年のHikakin TV開始から10年。遂にその日が訪れます。
2021年9月10日に生配信された「ヒカキンTV登録者1000万人行くまで生配信!(3分55秒からスタート!)」の配信中に念願のチャンネル登録者数1000万人を突破します。
生配信の開始から想定以上の速さでチャンネル登録者数が増え続け、用意されていたイベントの9割くらいが出せなかったというヒカキンさん。その勢いのすごさを感じさせる生配信でした。
ヒカキン20億円の自宅を手に入れる
YouTuberとしての大成功「YouTuberドリーム」の証として手に入れ話題になったのが「20億円の自宅」です。
室内プール、ジム、71畳のリビング、広い庭など、とにかく豪華な設備の20億円の自宅を手に入れたことを2023年8月に発表しました。

まとめ ヒカキンの夢の実現
今回の記事ではヒカキンさんの夢が実現していく過程の一部をご紹介してきました。
ヒカキンさん卒業した小学校の閉校イベントの挨拶でこのように言っています。
夢を叶えられるのは
自分の夢を信じて叶えようとした人だけです。
自分を信じ続けて、本気で努力し続けた人だけが
夢を掴むチャンスを手に入れることができます。
まさに有言実行のヒカキンさん。
自分の夢を思い描き、信じ続け、そして行動し続けた。
その結果が今のヒカキンさんという大きな存在を作り上げているのではないでしょうか。
ヒカキンさんの偉大さ、すごさを改めて感じることができました。